山に登る理由

LOVE&ピース。

こんにちは。

北九州市八幡東区・えん療術所の井上尚子です。

 

 

4月の半ばから始めた、皿倉山登山が20回目となりました。

 

このごろは、時間さえあれば登っていまして、

休みの日のみならず、ご予約が午後からのときは午前にも、午前でご予約の方が終わってしまったときは午後に山に入ります。

 

今は、映画より、本より、山が優先。

朝、まず思うもんね。「今日は山に行けるんだっけ?」(笑)

 

皿倉山では、「チャレンジ55」という企画があって、

4月から翌年3月の1年間に、55回登山したら表彰されるというもの。

これに登録したことが、ひとつのモチベーションになってます。

(登録の受付はすでに終了しています)

 

ただ、そうでなかったとしても、すっかり「山」モードなので、せっせと山に入っていくんだろうな~、わし。

 

もともと、わたしは歩くのが好きなのでね、

人間はどこまで歩けるのか、3号線沿いをてくてく歩いてみたり、アホなチャレンジもしていますが、

 

山を歩くのは、やはりアスファルトの上を歩くのとはちがいます。

 

ちょっと想像していただければ分かるのだけど、

日本で言うと、たぶん150年くらい前までは、平地すらあまりなかったと思う。

 

江戸時代あたりまでは

「ちょっと隣の村まで、荷物届けてくる」と言って、山のひとつやふたつ軽く超えてたんじゃないかなあ。

朝早く出発して、夕方、日の暮れたころに帰ってくる。

 

日本の多くは山間部なので、そんなことはザラだったのでは?と推測しています。

 

また、山間部でない、都市部の江戸や大阪であっても、

「お伊勢参り」などで、峠を越えて、歩いて旅をしていたわけだし。

 

車もなく、カゴや馬に乗れる人が限られていた時代、

山を歩くことは、日々の暮らしの中で当たり前に行われていたことなのです。

 

転じて現代。

人は本当に歩かなくなりました。

 

わたしは、自宅から療術所までの道のりを歩くことがありますが、この徒歩40分の通勤ですら、めっちゃ驚かれること多し!!(車だと8分ね)

いやいや、たった40分ですけど。しかも、坂道もなーーんにもない、ただのアスファルトの平地。

 

人間のからだは、動くこと、歩くことを前提に作られてます。それも、でこぼこだらけの自然の道を。

だから、起伏にとんだでこぼこ道を歩くのは、人間として必須なんだと思っています。

 

ジムに行って、ランニングマシーンの上を走ることで運動不足は解消されるだろうけど、

人間として、なんか大事なものが抜け落ちているような、、、。

 

だからね~、こうやって山を歩くことは、

わたしにとって、「大事なもの」を思い出していく作業、のような気がします。

 

実際、山に入るとすっかり内観モードになり、内に内に、、とこもれる。

自分のからだが苦しいからね。そこにしかフォーカスできないから、外のこととか考えないわけ。

 

鳥の声に耳をすまして、それに集中すると、外のこと考えないし。

 

時には、

このチリンチリンの音に集中しながら歩いたりもする。

そうすると、外の世界が消える。

 

基本、内に内に向かいたい、まさに内向的な志向のあるわたしには、この時間は「至福のひととき」なわけ。なのです。

 

そういえば、大好きなサティシュ・クマールも言ってました。

「歩かなきゃ哲学は生まれない。ブッダもキリストもみーーんな歩いてた」

 

山を歩く効果効能は、とてもすばらしいものがあり、ネットでもそういったことを書いている記事がありますが、

個人が「健康になる」などの単純な効果効能にとどまらず、

 

世界がよりよくなるためには、たくさんの人が、山などの自然の中に戻り、「大事なもの」を思い出していく作業に取り組んでもいいんじゃないかなあと思います。

 

もちろん、「大事なもの」を思い出す方法は、山登りに限らずたくさんあるし、人それぞれやり方がちがう。

ただ、その作業に取り組むってことは、ぜひ全人類がやったほうがいいと思うよ。

 

昨日の山頂からの景色。

わが八幡の町。

 

ではでは、今日も素敵な一日を。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

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えん療術所 *イトオテルミー療術師 井上尚子*
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