昨日、めっちゃ面白いオンラインイベントがありまして。
はい、こちら。
日本の聖地巡礼とコミュニティー「いきやすさ、くらしやすさへの道」
星野文紘
内田樹
内山節
藤田一照
の、そうそうたる4人の賢者!の対話。
星野先達とは、2年前に山口のお山に一緒に入らせてもらって、すごく不思議な感覚を得たことがあり、
さらに、内田樹氏には、毎度どーにもこーにも強く共感するところがあり、
このイベント、逃さずにおくべきか!!ということで視聴。
とにかく、2時間半。
いろんな話が飛び出して、
あれやこれやと縦横無尽に駆け回り、
わたしはそのひとつひとつにうなづきつつ、
自分の深いところにある、とある感覚をえぐられたように、
観念する。
免疫ってあるよね。
わしら、自然療法やる人ってしょっちゅう言ってる言葉。
免疫ってさ、自分と他者の識別ってこと。
でね、内田樹氏は
「本当に免疫力の強い人って、自分と他者の境目がデジタル的でない。あいまい。
他者(人間、自然なども含めて)にかんにゅう(嵌入?陥入?)しあう感覚がある。
出たり入ったり、、、《多孔質》な存在。
ぼくね、この《多孔質》って言葉、好きなんですよ」
とおっしゃる。
内山節氏は
「明治以降、《個人》が生まれた。
《わたし》の生き方、、、これが、くらしにくさ・生きにくさを発生させたのでは?
われわれは《個人》なんだろうか。
つながりあう世界が本質なのではないか」
と問う。
星野先達は
「《祈り》とは、自分を解き放つこと。
祈りをとおして、そこに溶け込んでいく。
祈っているときは、自分を捨てている」
と語る。
藤田一照氏は
「《自力・他力》と言うけれど、
現代は、自力で始まり、自力で終わる。
気づきへの道筋が、現代社会ではなくなってしまった。
個人技で終わるのではなく、自から他へ転換していくことを《やってみる》」
と提唱する。
「俺か、俺以外か」と言った若者がいるが、
それって、なんかもう、ちょっと、古い。
俺と俺以外なんて、幻想にすぎない。
この4人の賢者のおじさんたちの言葉は、
新鮮であり、そして普遍的だ。
わたしがどれだけゾクゾクする2時間半をすごしたか、
想像してみてほしい。